おこエコ経済論

エコノミー(経済学)をお好みで

人生はちっぽけだからやりたいことをやりましょうという話

われわれが手にしている時間は、決して短くはない。むしろ、われわれが、たくさんの時間を浪費しているのだ。じっさい、ひとの生は十分に長い。そして、偉大な仕事をなしとげるに足る時間が、惜しみなく与えられているのである。ただし、それは、人生全体が有効に活用されるならの話だ。

『生の短さについて』著:セネカ 訳:中澤務

 

私を含め、あなたの人生はちっぽけです。

100年は短いようであっという間に終わります。

 

ふと通勤電車の外を見るとたまに

ああ、こんな離れた場所でも自分と同じような人間が同じようにくらしてるんだなぁ

と思います。

 

同じような恰好をした人間が、同じような家に住み、同じような生活を送っています。

「そんなの当たり前じゃん」と思うかもしれませんが、

自分の家の周りしか知らない自分にとってはとても新鮮でした。

 

別にいろんな人間がいると思ってはいませんでしたが、

実際に離れたところでも同じような人間がいるのを見るとなんだか悲しい気持ちになりました。

(きっともっと違った人間が違った家に住んで、違った生活を送っていることを期待してたんだと思います)

 

きっと『進撃の巨人』のエレンも同じ気持ちだったと思います。

エレンは壁の外には巨人しかいないと思っていました。

でも実際には大勢の人間、むしろ壁の中よりも何十倍もの人間住んでいることを知り、絶望しました。

 

しかも、これはきっと日本だけじゃないはずです。

肌の色は違えど、同じような形をした人間が同じような生活をしているはずです。

 

じゃあ自分の人生は一体何なんだと。

同じような人間の中の1人が別に生きようが死のうが関係ないじゃないかと。

 

宇宙から見た地球を想像してみてください。

緑色(森)や白色(雲)はゴゴゴっと大きく動いていますが、

人間の姿なんてこれっぽっちも見えません。

その中で100年というほんの一瞬の中で1人死んで、また1人生まれていきます。

その中の1人の人間が仕事を辞めようが交差点で大声で叫ぼうが大した問題ではありません。

自分にとっちゃ大きな出来事でも、宇宙から見たら塵以下、もう全くと言っていいほど見えません。

 

何千億年も生きてきたこの地球にとって、

自分の生きる100年なんてほんの一瞬の出来事だと。

自分が生まれる前から人は普通に生活しているし、

自分が死んでもあの子はまた公園で遊ぶんだろうなと。

 

そう思うと、ふと自分のしたいことをやりたいだけやって死ねばいいじゃないと思うようになりました。

 

足利義満のような偉人でも、

教科書には「金閣寺を建てた」と載るだけです。

 

きっと当時は「こんな金ぴかのものを建てて、すごい!」ともてはやされたはずです。

でもどれだけ偉大なことをしても、

未来の人間にとっては「ふーん」で終わりです。

 

だったら、偉大じゃなくても自分のやりたいことをやって死んだ方がマシじゃないかと。

 

私の人生もきっとちっぽけで今していることなんて誰も気に留めないし誰も覚えていないと思います。

あなたも同じです。

あなたの人生に興味なんてありません。

その場しのぎで「何してきたんですか?」と聞くことはあっても、

心の底から興味なんてありません。

 

幼馴染みが会社員を辞めて芸人になると言ったときも、

「頑張りや」ぐらいにしか思いませんでした。

 

だからこそあなたは何をやってもいいんです。

「仕事を辞めたら周りにどう思われるだろう」とか、

「こんなことをしたら嫌われるんじゃないか」とか、

そんなものクソくらえです。

 

上司があなたを引き留めるのはあなたが必要だからではありません。

ただ人手が足りていないだけです。

あなたの代わりなんていくらでもいます。

 

とにかくやりたいことやって死ぬ、それだけです。

明日やろうはバカ野郎」です。

自分のやりたいことをやりたいだけやりましょう。

 

おわり